しばらく俺ガイルの感想を書いていきたい。ネタバレだらけである。きっかけは3期を見ていて最終話でえらく感動したからである。少し旬は過ぎた。最終回が終わったのはもう2か月前だったか。しかし2か月以上の間つらつらとこの物語のことを考えていた。

 3期を見ていて感じていたのは、「あれ、これ古い?」ということだった。古さを感じたポイントはキャラの掛け合いにも話の流れにもである。いろはが八幡にごめんなさい無理です系のいじりをいれるのは失礼なだけに見えてきたし、小町と八幡のやりとりはベタベタしすぎて気持ち悪いように見えた。小町的にポイント高いってなんやねん。何のポイントで、稼いでどうするつもりだ*1。ストーリー展開においても*2、メイン3人がギクシャクしているのもうっとうしかったし、2期で「本物が欲しい」と言って自分の欲望を認めたのだし3期をみていると八幡は雪ノ下しか眼中にないようだったからもうさっさとけりをつけてしまえと思っていた。近年には自分や他者の欲望によく気付いていて相手の欲しい言葉を投げ込んでお互いいい感じになることができる作品が多い。*3。察しのいい八幡はこれらの作品群でもとられているように自分と相手の欲望をいい感じにうまいこと扱えるはずと思えた。そのためか3期は重要な案件を後回しにしてちんたらしてるように見えてしょうがなかった。プロムってなんやねん。そんなもんに関わってないでとっととけりつけろ、だいたいお前ぼっちじゃなかったのか、なんでパーティーの開催なんかのために奔走してんだよ、などと思っていた。なんかちょいちょいちょっかいをだしてくる晴乃も非常にうっとうしかったし、母校にあらわれすぎ。雪ノ下母も今までさんざんヤバいキャラであることを匂わせてきていざ登場するとやってることは娘の仕事の邪魔であり高校生相手にイキってる、ショボい。というわけで、3期はあんまりよくないな*4、と思っていた。

 しかし、10話のプロムの終わりでそこそこ感動してしまった。祭りの終わりの美しさと薄暗い廊下での雪ノ下の心境告白にやられた。これを見たかったのである。しかしそこで雪ノ下の前から去って晴乃のところに行ったのはなんでやねん!と思った。晴乃なんて別にどうでもいいし、雪ノ下から逃げるんじゃない!と思った。そこから八幡は平塚先生に連れられてふんぎりをつけ、由比ヶ浜を振り*5雪ノ下を求めていくのであり、夜の陸橋の上でようやく手を伸ばすのであるが、「お前と関わっていきたい」「離したら二度とつかめない」と連発できるならもっと早く言えという気もしていたのである*6。今思えば「本物が欲しい」のときはずいぶん戸惑いや恥ずかしさを見せながら言っていたのに今度はずいぶんと堂々としているのもその思い(もっと早く言え)を強くする*7。散々文句を言っているように見えるが一連の流れと陸橋でのシーンはなかなか良かったと思っている。が、新規性を感じたわけではない。こじれた関係をつなぎとめたのが自分に正直になることというのは王道であるが、もうすでに他の作品群を経由したことによって周回遅れになった問題を見ているようにも感じたのである。

 と思っていたら最終話で平塚先生との「リア充爆発しろー!」「それ古いですよ。十年前のセンスじゃねえか」の所で異様に感動してしまったのである。「そうだよ!古いんだよ!」と思ってしまった。とはいえ作品をディスってそう思ったわけではない。では一体なぜそう思ったのかできる限り言語化してみたい。このやりとりからは作者のメタな思い*8を感じる。俺ガイルは2011年3月から2019年11月の期間に書かれており、アニメの2期から3期の期間は5年空いている。1期から2期の間2年であることを考えると作者は3期の話を作るのにかなり難航したことが推察できる。紆余曲折をたどる主人公達をここまで導くのに8年の年月が必要だった自嘲、導けた喜び、などがあのやりとりから感じたのである。そりゃそうである。いくら他人がまだるっこしさを感じようが自分の欲望を認めるのは自分にしかできないことであり、他者に伝えるには勇気がいる。それができるようになるためには時には長い年月をかける必要があるのである*9。筆者からは古く見えようが作品と作中人物にはそれまでの流れがあり、それと未来を接続するのは他人の仕事ではない、作者にしかできなかったのである、と感じた。また平塚先生はこれまでもずっと主人公を導いてきた。彼女は八幡が自分にとって重要なことに手を伸ばせるように願い、それを伝えてきた。その彼女が願いを叶えて去っていくことはこの物語の終わりを強く意味し*10、それが夕焼けのパーティ会場跡において実に美しく表現されていると思ったのである。

 とはいえ自分があそこで感動した理由をここで十分に説明できたかというと若干自信がない。原作を読んでいたわけではなかったし、2期の内容もあまりよくわかっていない気がするのでまだ見落としがあるかもしれない。3期も若干流し見ぎみだったので理解度は怪しい。なので作者や声優のインタビューを読んだり他の方々の感想を読んだり原作を読んでみるかと思って読んでいたら色々気になることがほかにも出てきたのでそこらへんを書きながら最終的にもう一度あのやり取りはなんだったのか、ここで考えたことは果たしてどれくらい正しかったのか、を振り返ることができたらいいなと思っている。

 自分が考えていることなど間違っているかもしれないしそうでなかったとしても既に他人が考えている可能性は高い。しかし俺ガイルの感想は膨大にあって全部追いきれない(こんなに大ヒットしている作品だと思ってなかった)。他人が言っていない解釈を見つけたいという思いはあるがそれをやったと示すためには時間とエネルギーが大量に必要である。なのでせめて自分の考えをはっきりさせることができればよいし、あるいは新たな発見があれば僥倖、と思う。

 

 

*1:この手の女キャラにいじられる主人公はかなり前からあるとは思うが、パッと思いつくものでも13年以上前の化物語で既にやられている。古く感じたのはそのせいもあるだろうか。また、3期にあったか覚えてないが平塚先生のいきおくれネタも今ではかなりアウトな雰囲気になってしまうのではなかろうか

*2:2期の話の流れをあまりよく覚えていなかったこと、実は全然把握していなかった部分があることも後に原作を読んでわかる

*3:昔にもあるんだろうが最近多くなった印象がある。パッと思いつくところでは小説だと青ブタシリーズ、魔王学院の不適合者、自分の欲望に忠実というのは微妙だが異世界魔王と召喚少女シリーズなど、漫画だと出会って5秒でバトル、忍者シノブさんの純情、ダーウィンズゲームなど(どれも名作である)。また、これらは男作者の作品だったと思うが、女作者の世界にはもっとたくさんある気がする。もっともそっちだと相手の気持ちを察知するのが上手すぎてそれによってやりたい放題になるやつも結構いる気がする

*4:1期は八幡のダークなやり方が面白いなと思っていたし、2期も話はよくわかっていなかったが雰囲気いいな、と思っていた。後ヒロイン2人の歌がやたらと上手い

*5:振り方の言い回しが見事。告白されてもいない相手を他人の好意に臆病な八幡が振るにはこうするのか、と思った。振ったこと自体はいくつか気になる。八幡は由比ヶ浜の想いに正面から向き合わずそらしてばっかりだったような気がするが、振るのか?それって結構ひどいのでは?ケジメをつけた感をだしたかっただけでは?ここらへんは原作を読んで確認したい

*6:とはいえ八幡は「好きだ」と言ったわけではなく、これって告白のシーンなのか?と若干疑問に思っていたら作者もインタビューでこんな風に書いているのを見つけた「どうでしょう? そもそも最後のエピソードが本当に恋愛的な帰結だったのかどうかも明言はしていませんから。」

【インタビュー】やはり俺の書くラブコメはまちがっている。『俺ガイル』渡 航が語る、逆張りの創作術 - ライブドアニュース

とはいえそれってひどい話では?雪ノ下にあそこまで言わせているのにか。八幡は他人への執着心を伝えられるようにはなったが好きだと言うことはまだできない、ということだろうか

*7:後、ただの思い付きだがなんとなく中二病でも恋がしたい!の告白シーンを思い出した。場面は似ているような

*8:リア充という言葉が既に死後である。今や陰キャ陽キャの時代である。そこらへんからもメタさを感じる

*9:作中では一年たっていないとはいえ

*10:この後3年生編が始まっているらしいが。果たして平塚先生なしで八幡は壁を乗り越えることができるか?というのは今後テーマになってくるだろうか?