なぜ「クリリンのことかー!」なのか

もう誰か言っているかもしれないが、なぜタイトルのセリフが名言となるのか書いてみよう。第2形態フリーザとの戦いでの活躍が目覚ましいのだが、特筆すべきは変身直後のフリーザが襲いかかるときである。ベジータも御飯も反応することすらできていない。しかし、クリリンだけは反応し、自分ではなく抱えていたデンデを逃がして自分は直撃を受けている。圧倒的な迫りくるフリーザを前にとっさにこの行動がとれる、自分より他者を優先できる、ということはクリリンの強い善性を示している、と筆者は受け取る。しかも、その後デンデの回復により復活した後はフリーザ気円斬をあて尻尾を斬る、フリーザを前に逃げ回り時間を稼ぐ、などの活躍を見せている。絶望的な力の差を見せつけられて瀕死に追い込まれたのにまだ戦いを続けている。遥か昔に初めて見たときは特に何も引っかからなかったが、強い精神力を感じないだろうか。気円斬が通用して気を良くしていたのかもしれないが。しかし、ただのお調子者がフリーザを相手に正面に立ち続けるというのはやはり並大抵のことではない。クリリンが最長老の元で潜在力を引き出される際に吐露したセリフを思い出してみよう。「ま まさかそんな力なんか残ってませんよ…!さんざん修行したんすから…今でさえもう限界を越えてるくらいなんすよ…!はは……」単純な戦闘力だけならとっくに戦力外のクリリンベジータを遥かに凌駕する敵が死ぬほどいるナメック星を逃げ回るのは相当なプレッシャーであり、神経を消耗させていた違いない。パワーアップを果たしたとはいえ、そんなクリリンを遥かに越える力を見せつけるフリーザの前にどんな気持ちで立っていたか、しかし彼は仲間を助けるためにそうしていたのではなかろうか。DBの中でも抜きんでるドタンバ力である。そんなクリリンを無惨に殺したからこそ悟空はスーパーサイヤ人となったし、フリーザが侮辱した際に「クリリンのことかー!」と激怒するのである。

 

ちなみに筆者は「ま まさか(以下略)」のセリフがDBで最も好きである。今は。苦労や苦悩と無縁で伝説を作り上げてしまった人、と勝手に思っていた方からこのようなセリフがでてくるのは何とも言えない味わいである。おやすみなさい。長い間楽しませていただきました。

サウジが勝ったのは素晴らしいのだけど

イランをダシにして盛り上がろうとするやつらはいかがなものか。イランは2018年ワールドカップではポルトガル相手に1-1分、スペインには0-1負、モロッコに1-0勝とグループステージで大健闘をみせた。そのときと監督は同じ。選手の質的にもポルトで大活躍の選手がいたりして少なくとも前回と比べてそんなに悪くない(のではないか。ちゃんと調べてないけど)。そのイランが2-6という大差で負けたことに対して、イランとサウジの印象論(イランは腰が引けてた、サウジは勇敢に前に出た…など。結果を見りゃそうみえるけどさ)の比較をしたり、単なるヨーロッパとアジアの地域格差(資本、フィジカル、伝統…)を感じるのではなくて、もっと違う何かを感じるべきではないか?例えば、イングランドに高度戦術が浸透して昔はいけたやり方が通用しなくなってる、5バックで引きこもってもジリ貧でやられるとかさ。東京五輪のスペイン戦もそうだったな。5バックではなかったけど。

 あと、多分今回オフサイド判定が超厳しいから、ハイラインのメリットが高まっていることがほぼ確定のようだ。

素晴らしい読解力をみた

以下すずめの戸締りネタバレ

 

anond.hatelabo.jpこりゃすごい。こんなに読解力があったらいいなあ。

>> すずめがさわっただけで要石はぬけてしまう。

>> 要石は人の力で抜こうと思ってもぬけるものではない。

>> 痩せ衰えた姿で彼女の家を訪れる。

>> すずめは「うちの子になる?」といった言葉も忘れ、草太を失った悲しみでダイジンも拒絶する。再び痩せ衰えるダイジン

>> サダイジンは、(中略)と環をあやつって黒い本音を言わせたりもする。

>> 「私が要石になるよ」

>> 「お頼み申し上げます」には、物語の当初にはない真摯さがあった。

これ全部劇場で明白に示されているのに、裏側に全然気づけなかった。むしろ、結局ダイジンを要石に戻すだけかよ、と筆者も思っていたし、おばさんが文句言いまくるところインパクトあるけどストーリー的に関係あるのか?とか思ってた。疑問が解消されてしまった…すずめの戸締りへの評価も爆上がりである。

 一応悪あがきしてなんで気づけなかったかを考えてみる。「私が要石になるよ」となんですずめが言う気になったのかよくわからないのである。「神からの拒絶と再契約」がストーリーラインの一つなので、それを言わなければならないのだが、それを言うための理由は映画で示されていたのだっけか…もうわからないな。すずめがダイジンの心の流れを読み取るきっかけみたいなものあったっけ?

 あと、天気の子で「ヒロインを犠牲にして天気を鎮めるなんていやだ!」ということを描いたのに、「やっぱり神様に体張ってもらわないと無理です!何とかしてください!」感が否めないな。再契約の流れをちゃんと描写したのかもしれないけど、どんな流れがあったところで要石にすることと釣り合うのか?人間は生贄になっちゃだめだけど神様ならいいや、ということか?なら、人間を神様にしちゃえば柱になってもらってよいのか?陽菜さんが神になり自分とは次元の違う存在となって泣く帆高…そんな話すでにどっかにあったような

 

 

 

天気の子でなんで怒られると思ったのか

天気の子は人を怒らせようと思って作った映画らしい。以下天気の子ネタバレ

news.yahoo.co.jp誰を怒らせるつもりだったのか、なぜ怒られるとおもったのか。なんかどっかで、「自分は大人になったからヒロインを犠牲にしてでもみんなが犠牲にならないで欲しい、と思うようになった」的な感想を見たが、例えばそういう人が怒るのであろうか。それは少し違う気がする。

 うろ覚えながら思い出してみる。天気の子はヒロインが天気を操る力を持っているが、なんかよくわからんけど彼女が犠牲にならないと東京は暴走した天気によって沈んでしまうことが示唆される。主人公はそれを我慢ならずヒロインをなんとか助け出そうとする。それが上手くいったかいかないかよくわからなかったけど、クライマックスの数年後ヒロインは主人公のもとに再び現れる、主人公はそれを見てやったことは間違いではなく、未来を生きる強い意志を持つ、という感じだった気がする。ここからどう考えればいいか、である。気候問題とは何か、を考えてみる。よく言われるのは温暖化、というのがある。温暖化というのは人類がCO2を大量に発生させることで起きている。誰がCO2を出すのか。人類全体ではあるが、より発生させているのはだれだろうか?大人であろうか?子供であろうか?大都市の人間だろうか?アフガニスタンの若者であろうか?また、大都市というのは何であろうか?エネルギーを無尽蔵に消費していないだろうか?そのエネルギーは一体どこでどのように作られたのだろうか?彼らのために福島の原発は動いていたのではないだろうか?確かに各地の工場は大量に電気を消費しているかもしれないが、工場が作った富というのは結局どこに集まるのだろうか?東京はその存在を支えるためにあらゆる富やエネルギーを吸い上げているのではないだろうか?その歪がいかに起きようと全く眼中にないのではないか。例え壊れた原発が近隣住民を追い出しても、若い世代が環境問題で苦しめられても、である。というわけで、天気の子は悪の親玉である東京を水の下に沈め、主人公はそのことを強く肯定してこれから生きていく、という映画なのである。こりゃ怒られること請け合いであろう。怒られてるの見たことないけど。ていうか上のインタビューをよく見てみると結構とんでもないこと書いてあるな。「今の子どもたちにとっては、それが当たり前なわけですよね。ですから「異常気象だ」なんて彼らは言わないし。『天気の子』は雨が降り続いている東京が舞台ですが、帆高も陽菜も、雨が降り続いてることについて何もネガティブなことを言わないんですよ。周りの大人たちやニュース番組はそういう話をしているんですけれど。そんな大人たちの憂鬱を、軽々と飛び越えていってしまう」だそうだ。今読むと、別に東京のことを悪の親玉だと思わなくていい、子供らしく何も考えずに東京を滅ぼして、滅ぼしたことにも気づかなくてよい、と言っているように感じる。まあそりゃ高校生に東京を滅ぼした、なんて業を背負わせたくないのはわかるけど。しかし、「私は悪の都東京を滅ぼさせたけど主人公に業を背負わせるのも嫌だったので主人公がそのことを気にしないように設定しました!」という話にも感じる。

 この話はダイの大冒険にも連想を強く促すところがあるのでまたいつか。簡単に述べると、なぜダイが竜魔人となることを決めたのか、である。

 

何でポップは回復呪文が使えるようになったのか

 ダイの大冒険のネタバレ

 

 メルル瀕死の事態に面してヤケクソでマァムに告白→しるし光る→回復呪文が使えるようになりメルル生存なのだが、よく考えると少し妙ではないだろうか?別にポップが回復呪文の練習してたわけではないし、回復呪文に素質ありそうな描写あったっけ?とはいえアニメを見ていて実は回復呪文に目覚める伏線がちゃんとあったのだということに気づいた、少なくともそんな気がしてきたのである。それはなんだったかというと、ポップの相談を受けるマトリフの心のセリフである。「ポップよ…おおよそ読めたぜ」「おまえの悩みが…」「おそらくそいつはおまえの人生で一番のカベだろう」「それを乗りこえちまったら…」「もうおまえはオレの手の届かない所へ行っちまうんだろうなあ…」*1というわけで、しるしを光らせることができたポップは無事壁を超えたので、無事大魔道士となりましたとさ*2。うーむ、どうか伏線であって欲しい…

 とはいえこのしるしが光らないエピソードには結構謎が多くて、適当に列挙すると、何であのタイミングでポップは悩みだしたのか?何でマァムに告白するとしるしは光るのか?マァムにやたらとツンツンしていたのは何か意味があるのか?といったところである。後ろの二つに関しては筆者は正直よくわからないのである。なぜかというと、一つ思いつくのはマァムがよくわからないからである。マァムは慈愛の心が強いキャラとして描かれているが、そんなマァムはヒュンケルのことが好きだったのか?とかである。筆者としてはマァムは恋愛関係の感情はあまり発達していないので、ヒュンケルのことは(ポップのことも)好きではない説をとりたいのだが、どうもそうでない、とする説を今日見てしまって、それにそこそこの説得力を感じるのである。

 とはいえここらへんに関しては正直よく考えてないしつっこんでいくには準備不足を感じるので深入りはしない。それよりもさらに輪をかけてわからないのが最初に挙げたこのエピソードが起こったタイミングに関する疑問である。このエピソードが起こる前に何が起こったかというと、ダイがバーンに恐怖を感じて逃げ出し、ポップがそれを追いかけなだめた後なのである。ポップは怯えるダイをもう一度立ち向かう気にさせたのに、そのあとで自分がビビッて自暴自棄になってた*3ら台無しである。しるしが光らないっていじけてたやつがなんかえらそうなこと言ってたなwとなってしまう、またそのときマァムにも何も心配いらない、みたいな感じでポイント稼いどいたのに完全に裏目に出ているではないか。もともとポップのエピソードをバーンプレス潜入準備期間のメインにするつもりだったけど、バーンとの戦いでダイが思った以上に精神的ダメージを受けたのでそれをフォローする必要があった(せっかく和解した親を目の前でなくしているしな)、結果として2つのエピソードが隣接してしまってチグハグ感が出てしまった、のだろうか?あるいは大したバックグラウンド(ドラゴンの騎士、王族、善悪のサラブレッド、勇者パーティを親に持つ)がないままここまで戦ってきたもともとビビりのポップが抱え続けてきたストレス(自分がこれからも戦っていけるのだろうか?大魔王を相手にして)がここにきて大変強くなっていることに三条氏が気づいたのでしるしが光らないエピソードをここに挟まざるを得なくなった、ということなのだろうか?どちらの考えもそれなりにありそうではあるが、それだけでこのチグハグ感をすべて説明できるかというと…うーむ。

 

 

*1:この後セキをするマトリフが非常にいい、というか感慨深い、というか…

*2:そして、遥か天空のバーンパレスへと戦場を移す。マトリフの手の届かないところへと

*3:筆者がポップをいまいち好きでないのはここらへんである。魅力のあるキャラだとは思うが、あんだけマァムにやな感じに噛みついてたら、その後いくら立派なこと言ってても若干しらけ気味に聞いてしまう