天気の子でなんで怒られると思ったのか

天気の子は人を怒らせようと思って作った映画らしい。以下天気の子ネタバレ

news.yahoo.co.jp誰を怒らせるつもりだったのか、なぜ怒られるとおもったのか。なんかどっかで、「自分は大人になったからヒロインを犠牲にしてでもみんなが犠牲にならないで欲しい、と思うようになった」的な感想を見たが、例えばそういう人が怒るのであろうか。それは少し違う気がする。

 うろ覚えながら思い出してみる。天気の子はヒロインが天気を操る力を持っているが、なんかよくわからんけど彼女が犠牲にならないと東京は暴走した天気によって沈んでしまうことが示唆される。主人公はそれを我慢ならずヒロインをなんとか助け出そうとする。それが上手くいったかいかないかよくわからなかったけど、クライマックスの数年後ヒロインは主人公のもとに再び現れる、主人公はそれを見てやったことは間違いではなく、未来を生きる強い意志を持つ、という感じだった気がする。ここからどう考えればいいか、である。気候問題とは何か、を考えてみる。よく言われるのは温暖化、というのがある。温暖化というのは人類がCO2を大量に発生させることで起きている。誰がCO2を出すのか。人類全体ではあるが、より発生させているのはだれだろうか?大人であろうか?子供であろうか?大都市の人間だろうか?アフガニスタンの若者であろうか?また、大都市というのは何であろうか?エネルギーを無尽蔵に消費していないだろうか?そのエネルギーは一体どこでどのように作られたのだろうか?彼らのために福島の原発は動いていたのではないだろうか?確かに各地の工場は大量に電気を消費しているかもしれないが、工場が作った富というのは結局どこに集まるのだろうか?東京はその存在を支えるためにあらゆる富やエネルギーを吸い上げているのではないだろうか?その歪がいかに起きようと全く眼中にないのではないか。例え壊れた原発が近隣住民を追い出しても、若い世代が環境問題で苦しめられても、である。というわけで、天気の子は悪の親玉である東京を水の下に沈め、主人公はそのことを強く肯定してこれから生きていく、という映画なのである。こりゃ怒られること請け合いであろう。怒られてるの見たことないけど。ていうか上のインタビューをよく見てみると結構とんでもないこと書いてあるな。「今の子どもたちにとっては、それが当たり前なわけですよね。ですから「異常気象だ」なんて彼らは言わないし。『天気の子』は雨が降り続いている東京が舞台ですが、帆高も陽菜も、雨が降り続いてることについて何もネガティブなことを言わないんですよ。周りの大人たちやニュース番組はそういう話をしているんですけれど。そんな大人たちの憂鬱を、軽々と飛び越えていってしまう」だそうだ。今読むと、別に東京のことを悪の親玉だと思わなくていい、子供らしく何も考えずに東京を滅ぼして、滅ぼしたことにも気づかなくてよい、と言っているように感じる。まあそりゃ高校生に東京を滅ぼした、なんて業を背負わせたくないのはわかるけど。しかし、「私は悪の都東京を滅ぼさせたけど主人公に業を背負わせるのも嫌だったので主人公がそのことを気にしないように設定しました!」という話にも感じる。

 この話はダイの大冒険にも連想を強く促すところがあるのでまたいつか。簡単に述べると、なぜダイが竜魔人となることを決めたのか、である。