空裂斬とグランドグルスについて

 以下ダイの大冒険のネタバレ。

 

 ダイの大冒険のスピンオフがでている。バーン出現以前のアバンとハドラーが争っていた時代の話だ。筆者としてはバラン相手にビビりまくっていたハドラーよりさらに昔の状態の話を見ても色々厳しいのでは?ハドラーを美化してしまう事態になると本編が台無しになってしまうのでは?と心配になってしまう。まあ、きっと三条氏ならなんとかしてくれるだろう…また、まぞっほ関連のエピソードが筆者は大変好きなので、まぞっほとマトリフの過去話がでてくると嬉しいのだが、まぞっほの過去話を見ても辛いだけにはなるだろう…辛くないと本編がやはり台無しになるし、あと、まぞっほがマトリフと修行していたのはハドラー時代よりさらに前だろうしな。

 アバンの過去話というと筆者が最も気になるのは、「アバンはどのように空裂斬をマスターするのか?」である。空裂斬の完成はアバンストラッシュの完成を意味するので、ダイの大冒険的にも重要な意味を持つが、筆者としては空裂斬を使えないということは正義のエネルギーを上手く制御できない、ということだと解釈しているので、空裂斬を習得するということは本編では完璧人間であるアバンの未完成な面を描かなくてはいけない、特に、正義のエネルギーを上手く扱えないアバンというのはどうなんだ?それはアバンではない、のでは?というか、そもそも正義とは一体なんであるのか?ということに触れないわけにはいかないのでは?と思われ、そこらへんどうするつもりなのか気になるのである。そのことを筆者自身も考えてみたいので、次のことをしてみよう。本編でも空裂斬の習得は非常に困難であるものとして描写されているが、各キャラと空の技の関わりにおいてどうだったか見てみよう。

 ダイは主人公であり、正義の心を持ってはいたが見えるものに固執し過ぎていたために空裂斬を取得できていなかった。そのため非常に目でとらえることが難しい敵(弾岩状態のフレイザード)に直面し、ヒュンケルの機転で目をふさがれる(今思うと上手くいったからいいもののとんでもない無茶だな。しかしあのままではジリ貧なので無茶は最善の方法だったかもしれないが…)ことで悪のエネルギーを目にとらわれず捉える術を身につけるのである。あれ?ここまで書いてみると、アバンの過去でもこれと同じことをすればいいだけのように思えてきた。目で捉えにくい敵を出して、心眼で敵を斬るようにすればいいのである。別にアバンが正義として未完成である状態なんて書かなくていいかもな。まあ、フレイザードのときとほとんど同じことをするなんて芸のないことをしないようにはして欲しいが…筆者の当初の疑問も空振りであろうか。しかし、いろいろ考えてしまったのでとりあえずダイ以外のキャラクターたちにとって空裂斬とは何だったかをこのまま見続ける。というか以下かなり脱線。

 ヒュンケルにとっては空裂斬は習得不可能なものであった。暗黒戦士であるため正義のエネルギーを上手く扱うことができなかったのである。しかし、フレイザード戦ではヒュンケルは正義のエネルギーを上手く扱えなかったが、ヒュンケルはグランドクルスを使えるではないか?あれができるのならば正義のエネルギーを扱えてもよいのでは?と思って原作を見返したが、グランドクルスは命のエネルギー、闘気の技である、ということになっており、正義のエネルギーではないのである。やられた。しかも、後々グランドクルスはドルオーラ等と同じカテゴリーであることが示唆され、ドルオーラは竜魔人化したバランでも使えることから正義の心を持つ者でなくても使えることも示唆されている。三条氏の設定力はさすがである。とはいえ筆者としてはグランドクルスを単にドルオーラと同じカテゴリーにしたくはない。何かが違う気がするのである。ダイ側が使う技なので正義のエネルギーがないと使えない技のような気がするだけかもしれないが、それだけでもない気がするのである。

 そこで、グランドクルスとは何か(特にヒュンケルが進化させたもの)、を考えるためラーハルト戦でのヒュンケルを見返してみよう。そこでのヒュンケルはバランに強いシンパシーを抱いており、「”くらってもかまわん”という覚悟」を持ち、「生命を囮」とし、「アバンの使途の絆」であるアバンのしるしを使ってグランドクルスを放つのである*1。覚悟や生命を囮からはグランドクルスが命のエネルギーの技であることが強く示唆される。しかし、シンパシーの心や使途の絆が重要であることは正義っぽくないだろうか?そもそも正義とはなんだ、ということを定義しないといくらやっても明確ではないというのはそうだが、逆に「正義」とは何なのかが強く示唆されているようにも思われる(ここらへんからダイの大冒険を超える、ジャンプ、むしろ近年の日本にとっての正義とはなんだ、という話がでてきそうな気がしてしまうのだが…)。また、バーンプレス脱出の際にヒムがグランドクルスを使用していることも興味深い。この時点で、ヒムはダイパーティーを「好きになっちまった」のであり、自分の体が崩壊することもいとわずグランドクルスを放っている。グランドクルスを放つ条件を満たしており、ヒムが完全にダイパーティーの一員である(ハドラーパーティーからの助っ人ではなく)ことを示すよいシーンになっているが、別に正義の心が生まれていないとするとちょっと微妙になってしまわないだろうか?

 途中から空裂斬ではなくグランドクルスの話になってしまったが、結果的に「ダイの大冒険にとって正義とはなんだ?」を考えることができたので良しとしよう。今まで空裂斬が重要ということは思っていたが、ダイの大冒険的にはグランドクルスの方が重要な技かもな、と思えてきてしまった。

 ここでさらに空裂斬とグランドクルスについて考えるために、他に空裂斬を使えそうなものは誰か、他にグランドクルスを使えそうなものはいるか?ということを考えてみよう。

 グランドクルスに関しては、まず候補の条件を書いてみよう。魔法が使えない戦士であり、覚悟があり、パーティーへ強いシンパシーを持つ者である。いっぱいいそうだ…しかし、ラーハルトはダイパーティーよりではなくダイよりであり、クロコダインは命を懸ける場面で大防御に回るのである。そう考えると、筆者として推薦したいのはチウである。単純にレベルが低いのが困ったものだが、レベルが低いにもかかわらず自分より強いものに向かっていける度合いではポップよりも上ではないだろうか。何より自分で作ったよくわからない設定を強者に対して張り倒すことのできるキャラは筆者の大変好みであるし…しかし、チウはどっちかというと獣王会心撃の方が使えたほうがいいかもしれないが隊長が隊員の技を使えてもな…ブロキーナ流と合わせて何かでないかな。

 しかし、空裂斬を使えそうな他のキャラというと難しい。今までの思考の流れでは、グランドクルスを打てる者は空裂斬を打てそうなのである。空裂斬を打てる者にはグランドクルスを打てる者にはない条件があるべきではなかろうか?アバンやダイでないと使えない理由があるとよいのだがそれは何だろうか。勇者であることか?アバンとダイの共通点として、他者に勇気を与えることができるというのはあるが、それは他の者では絶対にできないことだろうか?

 そこで話が飛躍的だがマァムが空裂斬を打つことができるか?と考えてみよう。彼女が空裂斬を使えるというのは意外と筆者にはしっくりくる。アバン流は武器を選ばないが、拳法に関してはより専門家がいる、ということを差し引いてもである*2。マァムとヒュンケルの違いを考えると何となくそれはわかってくる。グランドクルスはやけくそ感が強いのである。確かに生命を捨てる、というか晒す覚悟をもつことは凄いと思うが、ちょっとそれに酔ってる気もしてくるのである。グランドクルスを使用した者がバランスを崩し致命的なダメージ負うというのは本編では描かれなかったが、ヒムは自己崩壊一歩寸前だったのであり、もしバーンプレスからは脱出できたがヒムは失われたとなったらグランドクルスに対して単なる必殺技以上の負のイメージが強くなるのではなかろうか?ほとんどメガンテと同じ。そう考えると他人を鼓舞すべき勇者が使う技ではない(あくまでヒュンケル版は)と考えられる*3。ではマァムはどうか?彼女はグランドクルスを使うであろうか?筆者はマァムはグランドクルスからは遠いと考える。バルジ島でヒュンケルがグランドクルスを使用した際マァムは「たとえ自分の身がどうなろうとも仲間を救うためなら生命をかける」と言っているが、その一方で一番生命をかけることを最終手段にしそうなのも彼女である。しるしの光からもわかるように、彼女の他者を案じる心は強いわけだし、自爆技には強い抵抗を持ちそうである。また、フレイザードに無謀な戦いを挑むダイを気絶させてでも連れ出すことから一か八かの勝負をそう簡単には行わないことが描写されているし、彼女の一番の見せ場であるザムザ戦でも戦いのキーとなったのは命を晒す覚悟ではない*4

 こう考えるとヒュンケルとマァムが違うことはよくわかる。しかし、それはあくまで両者の違いであってマァムがグランドクルスからは遠い理由になっても空裂斬を使える理由になるだろうか?筆者はいまだにマァムが空裂斬を使用可能説をとりたいが、これ以上はまだ説明できない*5。ここまで書いてきて思ったが、そういや明確に正義の心が強いことが描写されているキャラがいた。レオナ。というか、レオナがミナカトールを継承する場面見返して見ると結構難解で正義とは何かについて結構書かれている…「悪を倒すためではなく」「受け継いできたものが決して間違っていない」とは…といったところで今回は終了。何が言いたいかったのか迷走してるけど、ブログだしこれでいいでしょ。

 

 

 ところで、これは余談なのだが、以下のページによればグランドクルスは魔法の使えない者のための技であることが本編で触れられていることが指摘されており、元々はアバンが開発した技ではないことが示唆されている。慧眼である。また、そこでアバンの仲間の戦士の存在が指摘されている(まあというか〇カだよね)。

グランドクルス (ぐらんどくるす)とは【ピクシブ百科事典】

 しかし、筆者としては開発者はさらに別の者ではないかと考えている。その理由は、ハドラー軍には武人であり、正義の心を持っていそうで、生命を晒すこともできそうで、よりヒュンケルに強い因縁を持つ者が存在するからである。そう、〇〇〇ス。実はヒュンケルの奥義は彼由来だったのである、となると筆者的には大変好みなのである。

*1:強い気持ちを抱いてラーハルトを撃破したヒュンケルだが、バラン相手には実力が違いすぎて何もできず。しかし、このとき抱いた思いがその後きっちり無刀陣で回収されるので、よくできた物語である

*2:アバン流拳殺法があっても、ひいてはアバンストライクがあってもいいではないか。マァムさんの今後に期待

*3:アバンはメガンテを使った瞬間「勇者」をダイに譲り渡したのである…と言えなくもない?勇者は複数いてもよいのか?

*4:彼女自身の鍛錬を信じることである。また、ダイの大冒険ではバトルは命が懸かっていることは前提ではあるのでマァムが命を懸けてないなどとは決して言えないが…

*5:書いてて思ったが、マァムは「頼りになる」キャラだ。いざとなったら自爆技に走りがちなヒュンケルやまぞっほやマトリフらがいなかったら何度逃げ出していたかわからないポップよりもよほど頼りになるだろう。筆者は頼りになるキャラが好きなので、安定しているキャラが好きである。ダイの大冒険で一番好きなのはアバン。もっとも安定感がある以上の魅力が彼にはあるのでいつか書いてみたい